就職超氷河期世代でHSPで保守的な私が起業に踏み切ったワケ
近年、日本人の働き方は結構変化してきていて、個々人の能力をより発揮できるよう自由で効率的であるべきだということが当然のこととなりつつあります(もちろん一部のそうでない人はいますが)。コロナの影響も相当あります。
それなら自由と効率性をもっともっと追い求めて独立しちゃえばというのが前回の記事でした。
【前回の記事】テレワークが快適ならいっそのこと独立すべき! ノンレバレッジ独立のすすめ
そんなことを偉そうに言えちゃうのは、私がまがいなりにも企業経営者だからです。
7年前に個人事業主となり、一時はサラリーマンと兼業しましたが、2019年1月に会社にしてからは専業です。
それだけで生活しているんだから独立前からよっぽど自信があったのだろうとか、サラリーマン時代には優秀な営業成績だったのだろうと思うかもしれませんが、
別にそういう訳ではありません。
社員数人程度の中小企業の勤務経験が多かったのですが、良い意味で伝説的なことを成し遂げたということはなく、
逆に、ばっくれたり、売上抜いたり、上司にタンカきったりと悪い意味で伝説的ということもありませんでした。
仕事面も勤務態度も概ね真面目で手はかからないけど、バリアがあって扱いにくいヤツと思われていたのだと思います。
なぜそんな私が独立したのでしょうか?
彷徨えるサラリーマンだった私
私が勤務した会社は不動産会社だけでも10社近くに上り、各勤務先では本当に良い経験をさせていただいたと思っていますが、
申し訳ないですが、どの勤務先も“しっくりくる居場所“ではありませんでした。1社あたりの平均勤務期間は2年未満です。
それは勤務先が悪いのではなく後述しますが私の気質によるものです。
勤務先が売上至上主義だったから、とか、経営ビジョンに賛同できなくて、みたいなレベルの話ではなくて、ちょっとしたところが私には居づらいのです。
例えば、ある勤務先では同業の不動産会社に電話で訪問アポイントを取るのが日常業務でしたが、
私は電話する前にちょっとでもその会社のことを調べたくなるのです。金太郎飴のような画一的なトークではなく、少しでも相手に合わせたトークをしたいと。
でも、そんなことをしていると上司から注意されます。効率が悪いと。
確かに上司の言う通りですが、私は電話口の相手がよくある営業電話かと思ってテンション下がっていく空気がいたたまれないのです。
また、私の営業先に上司が同行することがままありました。
上司は私の顔を立てて営業先に丁寧に接してくれて、
営業先も私に気を遣って上司に丁寧に接してくれて、
一見すると何の問題もないようなんですが、私には両者が自分に配慮していることですごくすごく申し訳なく、その時間が早く終わることを切に願ったものでした。
というか、周りに人がいる状況で仕事をすることがそもそも苦手です。大事な用件の電話は社外でコソコソ掛けていました、別に何も悪いことしてないのに。
えっ、そこまで!?と思われるでしょう。私のそのような妙な繊細さは誰に相談しても十中八九そのうち慣れるから気にするなと言われます。
でも、10年経っても慣れませんでした。
そのような気質を抱えた私は、それを補うべく様々な努力をしましたが、
不動産業界では押しが強く自分に都合のいいことばかり言う営業が鏡とされていたので、そのように振る舞えない自分に自信は持てず、申し訳なさもあって勤務先に居づらいのでした。
実はHSPだった私
最近になって知ったのですが、私はHSPだったようです。
HSPはHighly Sensitive Personの頭文字で
・刺激を強く感じやすく、小さな変化に敏感
・感情反応が強く、共感力が高い
・情報を深く処理する
といった特性を持つ人です。
音や匂い感情の起伏といったことにアンテナが大きく反応し、それをいちいちしっかりと受け止めるので、一日の疲労が半端ないです。
精神疾患という程ではなく、全体の15%〜20%の人がHSPだと言われています。
簡単に言うと感受性が強い人で、人口の結構な割合でいるので、周囲からちょっと気難しい程度で、基本、普通の人と同じ扱いを受けますが、
HSPは先天的なものであり、慣れによって消滅することはありません。
なので、HSPに考えすぎだとか気にするなとアドバイスしてもダメなのです。そこには越えられない壁があります。
かえって、そのようにアドバイスすることで、人ができることを自分はできないと劣等感に苛まされます。HSPは劣等感を人より強く感じるのです。
もちろんHSPにはいい部分もあって、細部に注意が行き、真面目で、洞察力があったりしますが、
私の場合、子供の頃は他の子が感情をストレートに表現するのに対しワンテンポ遅れて小難しいこと言ってみたり、
社会に出てからは体育会系営業会社に属し、お客さんが営業されて困惑してると、それを察して相手以上に居心地が悪くなったりと、
HSPにとって不利な環境に身を置くことが多く、自分を社会不適応者の類であると認識していました。
“諦めて“独立
そんな私がサラリーマンから一歩踏み込んで独立を選んだのには様々な理由があります。
どの勤務先ともしっくりこず、他人の作った会社に限界を感じていたのも一つの理由ですが、
不動産業界は他業界にくらべて小規模、個人レベルでやっているところが多く、そういった方と日々接していたので、個人での独立を身近なものと感じていたということもあります。
また、私は大学卒業後の数年間はフリーターで、やっと就職したときにはすでに26歳になっていました。それでも、最初に就職した会社はそこそこ大きかったですが、リーマンショックで退職を余儀なくされ、その後は地元企業を転々としました。サラリーマンとしては負け人生です。独立しても今さら失うものがほとんどありませんでした。
ただし、最大のきっかけはビジネスモデル模索の断念です。
いずれは独立するということを10年くらい前からは考えていましたが、不動産業界には無数の会社があり、そのほとんどが同じような案件を追っかけている完全なるレッドオーシャンです。そのレッドオーシャンを勝ち抜く上で欠かせないのは生馬の目を抜く営業力となりますが、私にはそんなものありません。
そこで私はアイデアで勝負しなくてはならないと思いました。リノベーションやシェアハウスを流行らせた人みたいにキラーアイデアが必要だと。
アイデアの模索は何年も続いたのですが、ある時点でそれは結論に達しました。
キラーアイデアは他社が取り組んでおらず一般に認知されてないものでなければなりませんが、そのアイデアがいくら革新的だろうと世の中に知らしめるには多大な投資が必要です。
実物を見たり体感できる展示場みたいなものを作り、広告をして、その問い合わせに対応するスタッフを雇って、
投資は少なくとも数千万円は必要で、投資の回収には年単位の期間を要します。
数千万円のキャッシュはもちろんないので金融機関から借り入れしたり、金主から投資してもらう必要がありますが、それはアイデアがうまくいかなかったときには全てを失うことを意味します。
一世一代の大博打です。
そんなハイリスクを負うのは私の性格ではありえません。
キラーアイデアでもって華々しくスタートアップを決めていずれはIPO!みたいなことは私には無縁の世界であり、私にはありきたりのしょぼいことを愚直にやるしか道はなく、どうせ苦労するなら早い方がいい…
そう悟った日が独立を決意した日でした。
そんな半ば諦めによって始まった私の会社ですが、果たしてそんなスタートで大丈夫なのでしょうか?
(次回に続く)
shiro-shita
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