就職氷河期世代を苦しめたのは仕事の過酷さよりも職場の人間関係!?
※以前に別のブログで記載したものを若干修正して掲載しています。
ブラック企業とホワイト企業は世の中で言われる程の違いはないのかもしれないが…
以前の記事で私が自分の可能性を過信したあまりに負け人生スパイラルにハマった顛末をお話ししましたが、
一つの選択ミスが泥沼にはまり込むのは、就職難とそれにつけ込んだブラック企業による労働環境の苛酷化によるところが大な訳です。
ただし、ブラック企業と言っても所詮は人のやることです。
ヤクザのフロント企業でもなければブラック企業とはいえ根本的には悪ではなく、集団心理が過剰な忖度を生み出し、ムラ社会的な絶対的価値観から逃れられなくなる程度です(十分にヒドイですが)。
根っからの悪人は入社してもアホらしくてすぐ辞めるでしょうし、むしろ善良で周囲の同調圧力に屈する心の弱い人がブラックに染まります。
また、ブラック企業とはいえ、人をただ奴隷のように働かせて収益が上がる程オートメーション化されているところはほとんどないので、従業員がスキルを身に付け戦力になってほしいと思っています。
そのトレーニングが過剰だったり、中にはブラックでしか利用できない社会悪なスキルもままありますが、実際にブラック企業出身の優秀なビジネスマンは多くいます。
つまり何を言いたいかというと、
ブラック企業とはいえ、ホワイト企業と本質的な部分で大きく変わる訳ではないのです。
ただし、就職超氷河期には特殊事情が加わります。
上司が高卒で、部下が就職難民として押し寄せた大卒というケースが頻発したのです。
その組み合わせはお互いにとって軋轢となりました。
ブラック企業で社会人デビューし鬱に でも原因はブラックだからじゃない
私がやっと正規で就職したのは2005年、26歳になっていました。
正規になれずにいまだに非正規を転々としている同世代もいるので特別遅い門出ではなかったのかもしれませんが、それでも面接をいくつも落ちて、資格を取った上でやっと採用になった感じで、私としてはもう後がないと思っていました。
就職した会社は不動産の転売がメイン事業で、バブル崩壊の不良債権処理の一環で割安で処分される物件を購入し、ちょっとだけリフォームを施し再販してサヤ抜きしてました。
当時はそれを不動産流動化とかいって結構流行っており、世間からはいわゆるハゲタカファンド的な外資系と目されていたのですが、
実はピンキリあり、私の入った会社は純日本製で10年ちょっと前に起業され時代の波に乗り全国に急拡大していました。
謳い文句は「毎年売上を倍にしています!新興市場上場!」
そういう会社はまずブラックと思って間違いありません。
他にも、「結果次第で高収入」というのもブラック鉄板です。
当時はそんなことを知るはずもない私は入社直後はハイモチベーションで業務を行っていましたが、徐々に下降線を辿り、半年後には鬱気味となり心療内科を受診しました。
生まれてはじめての心療内科、敗北感たっぷりでしたが、今思えばさっさと行って正解です。
何が私に合わなかったのでしょう。
確かに過大なノルマを課す会社で、そういったストレスはあったものの、従業員を搾取して上層部が悦に浸るようなそんな温情のない会社ではありませんでした。
むしろ、仲間意識があり、人間的に悪い人達ではないのですが、何故か自分としては居場所が感じられない。
会社の同僚や上司と私の違いの一つに学歴がありました。彼らの多くが高卒で、私は四大卒でした。
ただし、地頭や教養の差が人間関係の壁になったのではありません。皆さん、常識的で、ビジネスマナーをわきまえた要領のよい方達でした。
むしろ、学歴の違いによってメンタリティに差が出たのです。
同僚・上司はマイルドヤンキー
高卒で働く場合、高校三年生時に就職活動を行いますが、やはり、大学卒業見込者がする就職活動に比較して規模・期間が小さく、地元の求人がほとんどです。
職場では大卒の新人のように強い期待を受ける訳ではなく、自主性は優先されずに習うより慣れろといった感じで仕事を覚えます。意見は求められず、湧いた疑問はそのまま飲み込みます。
勤めてもそのまま地元にいるので週末は地元の同級生とつるみ、仲間みんなで車に乗って国道沿いのショッピングセンターや地域の祭り、海水浴場に繰り出します。
付き合う女の子は仲間内から紹介されたやはり地元の子で、ギャル仕様の軽ワゴンに乗っています。早婚が多く、結婚理由は妊娠です。
飲みに行くと居酒屋で取り敢えずビールを頼み、ビールはスーパードライです。
一気コールのレパートリーが豊富で、掛け声は抜群のコンビネーションを発揮します。
カラオケに行って歌うのはBOOWYにZIGGY、尾崎豊、T-BOLAN、シャ乱Qといった王道J-ROCKです(今だとEXILEも加わります)
就職して何年間か経つと小慣れてきて、力の抜きどころを覚えてきます。要領はいいのです。といって、楽しい程ではなく、仕事は愚痴をいいながらやり続けて、それで家庭を養うためのものと思っています。「仕事=労働力の提供」なので起業したりリスクを取ることはしませんが、いつか同僚を代表して会社に楯突いてやるとヒーロー願望を持っています。
以上、イメージです。
私が入った会社の上司や同僚の全員がこのようなメンタリティだった訳ではなく、そもそも地方とはいっても仙台なのでそこまでコテコテでもなかったのですが、彼らの多くは今でいうマイルドヤンキーだったのです。
彼らがマイルドヤンキー化したのは、彼らなりに社会に適応しようと保守的で現実的なスタンスを模索した結果であり、彼らなりの処世術です。
半面、私は車に興味がなく、結婚する気がさらさらなく(当時は)、休日はカフェで過ごします。
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彼らがGLAYを聴けば、私はSMASHING PUMPKINS
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彼らがブランドロゴ入りソックスを履けば、私は100%ウールの無地ホーズ
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彼らがブルガリのキーケースを使えば、私はブライドルレザーの革小物
仕事でも、
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彼らは一部の上司と部活の先輩のごとく師弟関係を築きますが、同時に職場にいじめられっ子キャラも作ります。
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私は良くも悪くも職場内では人間関係に一線を引き、いじめは軽蔑します。
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彼らはわからないことがあっても上手に知っているふりを演じますが、私は正直にわからないと質問をし、答えが不十分だとさらに質問して困惑させます。
終始こんな感じで私が彼らと逆の行動を取ったり、彼らの価値観に合わせようとしないので、最初は私に優しかった同僚、上司も次第におもしろくなくなります。
私は自分なりに一生懸命に仕事をしようとするのですが、その一生懸命がかえって周囲との溝を深め、仕事で結果が出ない状況下でどんどん追い詰められていったのです。
メンタリティの違いを乗り越えるが…
それでも、心療内科通院後の私は、少しずつ仕事に慣れ、持ち前のマニアックさで不動産に詳しくなったのと、ブラック企業ならではの人の入れ替わりの速さで、苦手な先輩がいなくなったり、後輩が入ったことで心的負担が減少し、仕事での結果も出始めました。
仕事に熱中しだした私は、一人会社に残り延々と仕事をし、休日も仕事のことばかりを考え、スーツにカバンと仕事用のアイテムに投資をしました。
しかし…
そんな折、不動産市場は急激に悪化していきます。
勤務していた会社は転売用に物件を購入することはおろか、金融機関への支払いに窮し、保有物件を投げ売りせざるを得ない状況に陥りました。
同業他社も状況は同じで、破産、民事再生、会社更生が相次ぎます。
リーマンショック勃発です。
大恐慌は2007年暮れから始まり、リーマンブラザーズが破綻する2008年9月には不動産流動化事業を行っていた会社は完膚なきまで叩きのめされ焦土化していました。
私は退職を余儀なくされ、地元の会社に転職したのでした。
shiro-shita
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