欲の向かう先には破滅がある
<前回の記事>祖父の愛したゴミと不動産①
祖父が節約して貯めた不動産とゴミ。
成功者であるはずなのに頑迷さ、暗さを感じてしまいます。
この暗さですが、何も祖父にだけ特有のものではなく、人間にとって切っても切れないものであり、この暗さと向き合って克服しない限り本当の幸せは訪れないように思います。
心の豊かさは大切ですが…
暗さがない状態を一般的には心が豊かというのだと思います。
心の豊かさの重要性は広く認識されていますが、
心の豊かさは捉えづらく、そもそも日常生活を送るだけで精一杯だとそんなことに気を払ってられなくなります。
ビジネスで大成功した人が寄付や社会奉仕をしているのをみても、節税のためか、名誉欲を満たすためのように見えますし、そこまで穿った見方ではなくても、経済面でゴールに達した数少ない人が行く次のステップ程度に捉えられています。
このように心の豊かさ、暗さの克服に対しての一般的な実践程度は概して低いですが、
実は暗さ克服への取り組みは何千年も前から行われていました。
ちなみにブッダはこんなことを言っています
私は仏教に明るくはありませんが、私が読みかじった知識によるとブッダは暗さの原因は煩悩であるとしています。
煩悩とは欲です。
欲はさらなる刺激を求めエスカレートする傾向があります。
欲を求めると破滅に向かう
例えば、お腹が空いて仕方ない時にはお茶漬けがご馳走ですが毎食続くと飽きますし、
生まれてはじめて幸楽苑のしょうゆラーメンを食べて感動した人もいつしか二郎系ラーメンをマシマシしています。
栄養価が優れているとか、腹持ちがいいといった食事本来の目的から離れ、より強い刺激を求めるのです。
そして、一旦強い刺激を受けると、もはやこれまでの刺激では効かずどんどんエスカレートします。
脳がドーパミンに支配されるのです。
例えが極端ではありますが、薬物に手を出してどっぷり依存症になるのにも似ています。
欲を求めるといずれ破滅に向かいます。
もしくは、欲を求めても手に入れられない苦しみに悶えます。
苦行をするのが正しいのか?
そこで、煩悩と正反対を求めればいいのではないかと考えた訳です。
敢えて苦しいと感じることをするのです。
絶食し、異性との接触を避け、財産を拒否する。
世間的には出家信者は今でもそんなことをしているように思われています。
しかし、ブッダは自ら苦行の末、確かに暗さの原因は煩悩であっても、その逆をしたところで克服できないと悟ったのです。
そこでできた概念が中道です。
しかし、この中道の概念も非常にわかりづらいです。
中道って言っても現代ではほぼ苦行。
中道については、
煩悩も苦行もダメだからその中間を取ろうというように解釈され(いろいろな考えがあるようです)、
例えば、食事は生命を維持する上で必要なものを必要な量だけ摂取して、空腹の苦しみも、さらなる欲求も生じさせないようにします。
それで、具体的には何を食べるかというといわゆる精進料理です。
また、衣服については同様に衣服本来の外部から体を守る以外のファッション的意図や社会的地位の表現になってはいけません。
それで袈裟を着ます。
でもそれって出家信者じゃないと現実的にはできません。
サラリーマンがつぎはぎの衣服でランチに精進料理を食べていると周囲はドン引きです。
中道とはいえ、現代社会的には「苦行」に近く、普通の生活をしながらは無理です。
もし暗さの克服が出家しないとできないのであればほとんどの人は克服できないということになります。
また、逆に世の中のほとんどの人が出家したら社会は成り立たなくなります。
何か方法はないでしょうか?
(次回に続く)
shiro-shita
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