先日、何気に開いたFacebookで同世代のアラフォー・アラフィフ男の投稿が目に止まりました。
「石破、テメーッ!服装がだらしねえんだよ!お前らのせいで日本はネオ後進国じゃねえか、どうしてくれんだよ!」
石破首相と自民党政治を激しく批判しています。
また、別の同世代オトコはこんな投稿をしていました。
「コーチング学び始めました!」
↓
「スクールのイベント盛況でした!」
↓
「コーチングモニター募集しています!」
仕事や家族のことでモヤモヤしてたけど、コーチングと出会い、かつての自分と同じような人たちにその素晴らしさを伝えたいという話からはじまり、彼が師と仰ぐメンターのためにイベントの集客に奔走しています。
もし私が彼らと年齢も関係も離れていれば特に気にしないか、どちらかというと肯定的に捉えるでしょう。日本では政府を公然と批判することができる社会であり、政治に対し主体的に考え、国民として政治のチェック機能を果たしていると考えられます。コーチングを学び自己研鑽するのは大変結構なことです。
しかし、私は彼らと共に青春を過ごした同士としては、ストレートに言います。
お前らヤベーよ!
彼らの発信はなぜヤバイか
彼らは、お前だってFacebookで寒い投稿してんだろと反論するでしょうが、レベルが違うと思うんですよ。
はっきり言って彼らの発信は逆効果です。
私の発信もクオリティは低く、効果はほとんどゼロですが、
自民党をディスる同世代はリベラル系の政党を推しているようですが、こんな品のない援護射撃はその政党にとってありがた迷惑でしょうし、コーチングの同世代については、ほとんどの人は彼が心酔するメンターは新興宗教の教祖と受け取ったでしょう。人を集めるどころか遠心力を働かせています。つまり効果はマイナスです。
そして、投稿するジャンルが一般に誤解を生じやすいものです。この投稿を見た人は、政治であれば陰謀論に取り込まれた人がいると思い、コーチングであればスピリチュアルに走った人がいると思うでしょう。これらのジャンルについて発信するのであれば相当慎重に配慮してやらないとなりませんが、これらの投稿はそうは見えません。
また、今さら言うまでもなくSNSでパライバシーを晒すことにはリスクが伴いますが、
私はマイクロ法人経営者で、起業時にある程度のプライバシーを晒す覚悟はしてて、それは会社の営業のために全体最適化の観点から飲み込んでいます。繰り返しますが残念ながら効果というほどのものはありませんが。
対して同世代は、どちらも企業にお勤めで、部下もいる立場に関わらず、政治色の強かったり、副業を匂わす発信をしています。会社上層部はここまでくると開いた口が塞がらないレベルではないでしょうか。
ついでに、それでも彼らがSNSに投稿するのはコミットメント効果を狙ってるのだと思います。人に宣言することで自分をやらざるをえない状況に追い込んでいるのでしょうが、その追い込むという発想がいかにもアラフォー&アラフィファが通ったブラック企業的なノリで時代錯誤に感じます。
追い詰められている彼ら
同世代オトコの自爆ぶりを見て見ぬふりをできないのは、あまりにもヤバイからですが、実は彼らの気持ちがよくわかるというか、既視感が強いからです。
同世代オトコのつらさと、それを抜け出そうともがく気持ちには120%共感します。私だってもちろんその一人ですから。
アラフォー・アラフィフ男はごく一部の例外を除き、路傍の石ころです。
若い頃、街を歩いているとたまに視線を感じることがありました。もちろん声を掛けられるまではほとんどありませんでしたが。
しかし、アラフォー・アラフィフともなると一切視線を感じることはありません。誰も私に1ミリも気を止めません。もちろん網膜には映っているのですが、脳に送られる際に無用な情報として無意識レベルで切り捨てられているのでしょう。
では、メンタルも石のような硬さか、
そんなことはありません。
人間である以上、誰しもが自分が主人公、自分が中心のストーリーを生きています。誰も自分に興味を示さない、自分はほとんど価値がない、あっても家族を養うためのATMとしての価値では自らの尊厳を保てません。
世の中がアラフォー・アラフィフ男をそんな風にしか見れないのは当たり前のことですが、
本人としては、自分がその体たらくなのは、いまだに何者にもなれていないからだと考え、その何者になるチャンスは老いるほど減少することに強い焦りがあります。
このままだと自分の人生が実質的に終わってしまう、そして仮にこのまま定年まで勤めて厚生年金に加入し続けたとしても世代的には生きていくのがやっとのシケた老後があるだけ、
それなら一か八かでもアクションを起こさなければ!
まずは、SNSに控え目に投稿してみます。
リアクションはほとんどありません。
次にもう少しはっきりSNSに書き込みます。
それでもリアクションはほとんどありません。
今度はかなり強めにSNSで主張します。
↑
彼らの現在地です。
SNS上の友達は気付いてはいるのですが、ここまでくると危険なのでリアクションする訳にはいきません。
本来やるべきことは当たり前のこと
彼らの抱えるジレンマ(何者にもなれていない焦り)については、私も完全に共有していますが、一か八かでアクションを起こすことには異論がありますし、それがよりによって陰謀論やスピリチュアル系であるのは残念に思います。
これまでの人生で何者にもなれなかったのは、アクションが控えめだったからでしょうか。
陰謀論は世の中を裏で操り利権を貪っている奴がいてそいつが悪いと説き、スピリチュアル系は世界にはほとんどの人が気付いていない大きな力があり、それが成功に不可欠と説きます。どちらも自分がうまくいかない原因は自分の外にあるとし、現実から目を逸らしたい人にとってはとても心地よく響きます。
つまり、単に自分を肯定してくれる方に流れているだけではないでしょうか。
私が思うに彼らが本来やるべきことは2つうちどちらかだと思います。
一つは、何者でもない自分を受け入れることです。
抵抗があると思いますが、いずれは何者かになることが完全に無理と諦めざるをえない時が来ます。
多分、その頃は毎日どう生きながらえるか精一杯で、後悔をする程の余裕はないでしょうから、思ったほど気にならないのではないでしょうか。
というか嫌でもほとんどの人がそうならざるをえません。
もう一つは、自分の置かれている現実とその課題に向き合い、少しずつできることをしていくことです。
自己変革とかそういうレベルではなく、ただ目の前のやらなければならないことをやっていくのです。
今日やることを終わらせても、明日になるとまた課題が増えたり、終わらせたつもりが復活したりしますが、毎日それらをこなしていくのです。
できれば、今日やらなければならないことが10あれば、頑張って11やっていけば、少しずつですが目の前の景色は変わっていきます。
めちゃくちゃ当たり前のことです。
そんな当たり前のことしかないということは、世の中には何者かになる千載一遇のチャンスというほどのものはないということであり、
何者かになれるかどうかは別にして、昨日より今日、今日より明日が自分にとって良い一日であるよう積み重ねることを人生の真ん中に据えるべきだということです。
そんな当たり前のことを私は強烈に認識したことがありました。
もう20年以上前の出来事です。
(次回に続く)
shiro-shita
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